おつかれさまでした

意味のないことを書きます

死んだら遺骨をジュネーブの大噴水でぶっ放して欲しい

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ジュネーブには湖があって、その湖の真ん中(湖全体を考慮すると正確には真ん中でもなんでもないのだが、ジュネーブ中心街から臨むと真ん中にあるように見えるので、ここでは便宜上そういうことにしておく)には大きな噴水がある。噴水というと、お洒落な公園にあるような優雅でのどかなものが想像されるかもしれないが、この大噴水はそんな可愛いもんじゃない。それはおぞましいばかりの勢いで吹き上がっており、呆れるほど高く、正直なところ趣など皆無である。Wikipediaの「大噴水」の項目が、その様子を詳細に説明してくれている。
 
毎秒500リットル (132ガロン) の水が2,400ボルトの電圧で、2つの500kWポンプから、高さ140メートル (459フィート) まで噴出され、1メガワット以上の電力を消費する。水は、200km/h (124mph) の速度で噴射される。放出時の瞬間には、約7,000リットル (1849ガロン) の水が空気中にある。風向の僅かな変化により、噴水(湖の左岸から石の突堤経由で到達することがある)を見ている観光客はずぶ濡れになる。

出典元:大噴水 - Wikipedia

 
どうだろう。「うん千ボルト」だとか「ずぶ濡れ」だとか、とにかく巨大でガサツな代物らしいことはなんとなく分かっていただけただろう。
 
私は、いつか死んだ時、遺骨をこの噴水にぶっ放してもらいたくて仕方がない。
 
 
こんな突拍子もない考えが浮かんだのは、リヨンから来ていた友人にジュネーブを案内していた時だった。
時期は10月の半ばから終わりにかけてくらいだったと思う。8月の始まりにはジュネーブに到着していたにも関わらず、私はその時初めて大噴水をまじまじと見た。後腐れなく晴れた日に長閑な湖岸から眺めるその光景は、文句なしに美しかった。青空、たくさんの建築物、澄んだ水、でたらめに反射する日光。単純明快な美しさだ。じりじりとした残暑に焼かれながら、暫しその光景に見とれていた。
 
それから、噴射口へと足を運んだ。遠くから見ると湖面から突如噴き出しているように見えるこの噴水だが、噴射口は水面より1メートルほど上に設置されている。そこまでは桟橋が岸から繋がっており、観光客がずぶ濡れになりながらも間近で観察できるようになっている。
 
正直なところ、この噴射口に別段興味があったわけではなかったのだが、いざ見て見るとなんとも肩透かしを食らったような気分になった。
 
岸から噴水へしばらく進むと、橋は途中で斜め右に折れ曲がる。その曲がっている箇所の左側に、半径10メートルもないコンクリートの丸い島が繋がっている。その上にちょこんと、小さな小さな白い噴射口はあった。私たちが水に濡れてきゃあきゃあ騒いでいる間も、噴射口はただただ静かに、ものすごい勢いで水を噴出し続けていた。
 
ジュネーブのシンボルを高く打ち上げているそれは、驚くほど無機質で、あっけなかった。そのあっけなさがなんだか可笑しくて、私は少し笑った。
 
 
しばらく噴水を見ているうちに、あの勢いで吹き上げられたらひとたまりもないだろうな、なんてことをぼんやりと考えていた。水の勢いを利用すればダイヤモンドさえ綺麗にカットできるというし、あの小さな噴出口の上に寝そべった状態で突如水を噴き出されたりなんぞしたら、背骨が粉々になって即死することはまず免れ得ない。背骨どころか全身がバラバラになってしまうかもしれない、なんせ軽自動車くらいならなんなく吹き飛ばしてしまいそうな勢いなのだから。恐ろしい。
けれど、あの勢いで人間や物が吹っ飛ばされる様子は、なかなかナンセンスで面白いかも知れない、とも思った。
 
そんな想像を膨らませていると、突然、「あ、あれを吹き飛ばしたい」と思った。
 
遺骨だ。
 
自分でも何故こんな考えに辿り着いたのか未だに分からないが、「遺骨を大噴水で吹き飛ばす」というアイデアは、突如私の頭に降って来た。それから、その過程を頭の中で丹念にシミュレーションすると、あまりの完璧さに思わず笑みがこぼれた。
 
 
それはつまり、こんな感じだ。
 
数十年後だか数年後だか明日だか知らないが、私は死ぬ。苦しんだかぽっくり逝ったかは問題にならないが、最低限遺族がいることは前提になる。でないと、この計画は実現し得ないからだ。
 
それから、ささっと葬儀が執り行われ、私の死体は燃やされる。すっかり軽くなった骨は箸渡しで骨壷に入れられ、いくつかの手続きの後私の遺族に渡される。それはスーツケースの中にひっそりと仕舞い込まれ、ひんやりとした飛行機のキャビンの中で、時が来るのを待つ。
 
長いフライトの間、遺族たちを取り巻く空気はさながら二度目の葬式といった様子である。飛行機という、物理的にも感覚的にも日常から断絶した空間の中で、彼らはきっと失ったものについて思いを馳せる。
 
空港に着くと彼らはホテルへと向かい、翌日早朝の散骨に向けて早いうちから慣れないベッドに潜る。とはいえ長時間のフライトで疲れているから、きっとすぐに寝つくだろう。
 
日が昇るか昇らないかの間に、彼らは目を覚ます。顔を洗い、服を着替え、身支度を済ますと、私の骨を鞄にホテルを出る。すれ違う人も車もほとんど見当たらぬジュネーブの早朝を、彼らはゆっくりと、湖に向かって歩いていく。
 
湖沿いを東の方へ少し進むと、桟橋のたもとにたどり着く。朝早いから、まだ噴水は上がっていない。噴水守と合流すると、彼らは桟橋を進み、道半ば、右に折り曲がる桟橋を無視して左に曲がる。
 
小さな島の上に立つと、一人が鞄から遺骨を取り出し、噴出口の上にそっと乗せる。遺骨はからからに乾いていて、どこか海辺の珊瑚を思わせる。その時、湖上を眠たげな白鳥と鴨が横切っていくのに気付く者がいるが、決してそれを口には出さない。島の縁の弧に沿って並び、小さすぎる噴射口を見つめる誰もが皆、真剣で、緊張した面持ちを浮かべている。
準備が完了したことを確認すると、噴水守が輪から抜け、水を発射する準備にかかる。もう空は白み始め、遠くにはバスが走っている。
 
時が流れる。いつ出て来るか分からない水を、あるいはいつ吹き飛ばされるか分からない私の遺骨を、遺族たちは一心に見つめ続ける。
それからいくばくかの時間が経つと、モーターの振動が足を伝って耳に響き始める。
 
来るぞ!
そう思った瞬間には、目の前に巨大な水の柱が立っている――。
 
何が起こったのか分からないまま、彼らは強烈な勢いで噴き出す水を暫し唖然と見つめ、それから思い出したように視線を上にあげる。もちろん骨はどこにも見えない。どこか遠いところへ吹き飛ばされたのか、粉々になってすっかり見えなくなってしまったのか、それとも既に湖の中に沈んだあとだったのか、もはや知るすべはない。
 
それまで思い描いていた美しい計画とはかけ離れた現状を目の当たりにした遺族たちは、一体どうコメントしていいものかも分からぬまま、これですっかり旅の目的が果たされてしまったことに気付く。片道十数時間のフライトと数十万の出費、それから故人の顔を思い出し、なんとも形容し難い感情に襲われる。
 
とりあえず噴水守に礼を言うと、遺族たちはまた同じ道を戻ってゆく。「無事出来てよかったね」などと控えめに言葉を交わしながら、彼らはホテルへと帰り、静かに眠りにつく。
 
 
全員が再び目を覚ます頃には、もう日が傾いている。
とりあえずごはんにしようか、と市街地の適当な店に入ると、彼らは人数分のチーズフォンデュを頼む。細かく切られたバゲットが運ばれ、しばらくしてぐつぐつと煮えたつフォンデュがテーブルに置かれると、彼らは黙々とそれを口に運ぶ。やっぱり本場は違うね、とぽつりぽつり挟まれる会話の中、一人が静かに口を開く。
 
「今日の散骨さ」
 
一瞬、空気が固まる。誰もが皆それについて何かしら思うところがあった、と言わんばかりの様子である。そんなことは御構い無しに、彼あるいは彼女は言葉を続ける。
「なんかちょっと、思ってたのと違わなかった?勢い良すぎてびっくりしちゃったんだけど、水」
 
しばらくの沈黙の後、別の一人が同意の言葉を発する。
 
――うん、申し訳ないけど、正直ちょっと面白かった。
 
すると、それまでゼラチンのように凝っていた気まずい空気が嘘のように溶けて、次第に全員の顔に安堵の表情が浮かび上がる。それまで誰も口にはしなかったけれど、皆同じことを考えていたのだ。
 
それから私の遺族たちはきっと、笑顔で口々に会話を交わしながら、あつあつのチーズフォンデュをつつく。やっぱりそう思ったよね?いやー、さすがにあれは笑うよなあ。いくらなんでもシュールすぎでしょ。結局骨どこ行ったか分からず終いだもんね。本当にあれで良かったんかなあ。でもあの人、昔ここに住んでたんだしこうなるのは想像つきそうなもんだよね。
途切れぬ言葉とチーズの香りが、空っぽだった彼らの心をたっぷりと満たしてゆく。
 
――でもさあ、あの人なら考えかねないよね。
 
 あー確かにね、と誰かが答え、笑い声がそれに続く。それから、どっぷり入っている白ワインに少し酔っぱらって、皆だんだんといい気分になって、誰かが突如提案したパリ観光計画にいいねいいねと頷くうちに、いよいよ夜は深まっていくのだ。
 
 
その間にも、粉々になった私の骨は、音もなく夜の大気に溶け込み、土に染み入り、湖水をゆらめき、ゆっくりと姿を消していく。その様子はまさしく、ゆったりとした時の流れにつれて、私の存在が人々の心から忘れ去られ、いつか私が生きたことの証明が一つ残らず消滅するまでの、その永遠のような過程に似ているのだろう。